科学に無頓着な男性「アインシュタインって、なんかすごい天才の人でしょ。あと、すごい眠る人だっけ。なんか有名だけど、まったく知らないなぁ……」
そんな無知のあなたとも今日でおさらばです。
この記事を通して、アインシュタインをせめて教養のレベルまで知っていきましょう。
✔️本記事で学べること
それでは、有名だけども知られていない物理学者アルベルト・アインシュタインの生涯と業績をご紹介していきます。
アインシュタインの生涯
まずは、アインシュタインの生涯について、どのような人だったのか、知っていきましょう。
- 学生時代のアインシュタイン
- 1905年「奇跡の年」とは
- アインシュタインのそれから
学生時代のアインシュタイン
アインシュタインの学びに対するユニークな姿勢は、
- 好きなことには熱中してしまう
- 興味のないことには無頓着……
の 2 つです。
アインシュタインは、幼い頃から、有名な科学書を読み、微分積分を独学していました。
大学に入学後も、アインシュタインは 興味のある研究や実験にとことん取り組んでいった のです。
ただ、すでに述べたように、アインシュタインは好きでないことには、注力していませんでした。
そして、そんな弊害から、アインシュタインは、 大学受験に失敗したこと や、特定の講義をサボって、教師との関係を険悪にしたこともあったです。
“Love is a better than duty” – Albert Einstein
意訳:「好きで学ぶことは、義務で学ぶよりも、多くを学び得られるのだ」
このアインシュタインの名言からは、彼自身の学びに対する姿勢が表現されていますね。
彼の学生時代について興味のある方は『Einstein As A Student – Dudley Herschbach』を読んでみてください。
1905年「奇跡の年」とは
学生時代を経て、アインシュタインは好きな研究を進めていき、一つの年に、つぎの論文らをたてつづけに発表していきました。
- 光電子仮説と光電効果
- ブラウン運動
- 特殊相対性理論
これらのどれもがのちの物理学界の発展を後押ししたことから、今では、発表年である1905年を『奇跡の年(Year of Miracles)』と呼んでいるのです。
アインシュタインのそれから
それからもアインシュタインは、世界大戦を逃れながらも、一般相対性理論や E = mc2 を導き出すことなど、素晴らしい業績を上げていきます。
また、アインシュタインは亡くなるまで、科学の平和利用と核兵器の廃絶を含めた 世界平和 を訴えつづけたのでした。
アインシュタインの成果と業績
ここでは、アインシュタインの業績の次の要点をさらっとご紹介してきます。
「もっと知りたい!」と思った方や、「どうしてだろう?」と思った方は、ぜひアインシュタインのような好奇心を胸に調べてみてくださいね。
- 「光電子仮説と光電効果」とは
- 「ブラウン運動」とは
- 「相対性理論」とは
- 「E = mc2」とは
「光電子仮説と光電効果」とは
これは、アインシュタインのノーベル賞の受賞理由なので、簡単に理解しておくと良いでしょう。
まず、光や音が、波であることはすでにご存知かと思います。
そこで、アインシュタインは、 光は粒子のようにも存在しているという仮説(光電子仮説)を立てたのです。
そんな仮説によって、これまで理由が不明だった 光電効果を説明する ことができたのでした。
「ブラウン運動」とは
ブラウン運動とは、小さな粒子が不規則に動く運動になります。
ただ、名前からも分かるように、ブラウンさんの発見した現象です。
ここでアインシュタインが行なったのが、そのブラウン運動の起こる原因の解明になります。
そのおかげで、今までなんとなくだったものが、アインシュタインによって数的に説明されたのでした。
「相対性理論」とは
おそらく、アインシュタインの研究の中で、もっとも知られているのは、この相対性理論です。
ここで押さえておきたいのは、
速く動くものにおいて、
- 時間が遅れる
- 距離が縮む
- 質量が重くなる
ということです。
確かに、これは、私たちの実生活で体感できるものではありません。
ただ、 ウラシマ効果 や ブラックホールの原理 などに興味のある方は、ぜひ相対性理論についての理解を深めてもらえればと思います。
相対性理論については、多くのサイトや動画で解説されているので、ぜひ参考にしてみてください。
「E = mc2」とは
この有名な公式「E = mc2」は、相対性理論から導き出されたものになります。
ここでは、光の速度(c = 約 300 000 000m/s)を二乗としているので、計算するまでもなく、エネルギー(E)が大きな数になりそうだと分かりますよね。
アインシュタインはこの公式を用いて、原子力による 巨大なエネルギー量を計算した のでした。
そんな原子力の危険性を知っていたからこそ、アインシュタインは、 原子力や科学の平和利用を訴えていた のですね。
アインシュタインはなぜ舌を出したのか
最後に、アインシュタインの有名な舌を出した写真についてのお話をしておきましょう。
実は、あの写真は、アインシュタインの ちょっとした抵抗 だったのです。
それは、アインシュタインの 74 歳の誕生日パーティーのこと;記者たちはこぞって、アインシュタインに「笑って!」とシャッターを切りました。
ようやくそんなパーティーも終わり、アインシュタインが車に乗ったところに、ある記者が押しかけ、「笑って!」とアインシュタインにカメラを向けたのです。
そこで、疲れて果てたアインシュタインは、「ちゃんとした写真を撮らせまい」と舌を出したのでした。
誕生日まで落ち着いていられないなんて、有名人というのも大変なのですね。
そんな後日談として、アインシュタイン本人は、舌の写真を気に入っていたという話がありますよ。
まとめ:アインシュタインから学べること
この記事では、アインシュタインについて、彼の生涯や業績について、さらっとご紹介してきました。
✔️この記事で学べたこと
- アインシュタインは興味のあることには一途だった
- 1905年は奇跡の年と呼ばれている
- 科学の平和利用を願っていた
- 数々の未知の現象の解き明かした
- (おまけ)舌を出した写真の裏話
ただ有名人と漠然に認識するのではなく、「好きだから学ぶ」という精神を貫き通した、一人の物理学者として、アインシュタインを知っていただけたなら、幸いです。
さいごに、あなたの行動する後押しする、アインシュタインからの名言を1つ:
“Life is like riding a bicyle. To keep your balance you must keep moving.” – Albert Einstein
意訳:「人生は自転車を漕いでいるようだ。バランスを取るためには、動き続けなければならない」
もし科学の教養にも興味があるのなら、ぜひ「なぜ周期表がスゴいのか?どういった歴史があるのか」を次の記事からチェック!
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